とみこの6426(新)

虫と撮影のよしなしごと。 楽天ブログから引っ越してきました。楽天ブログは残してあるので一番最初の記事、「お引っ越しをば」から飛べます。

何も知らなかった頃には戻れない

ぶつぶつ独り言です。

 

知識というものは不可逆的なもので、一度得てしまうと無知には戻れない。ちょっと忘れることはあっても「あー、あれね!」って思い出すので記憶のどこかにはひっかかっているのです。

 

それが快楽と結びついているのなら尚更。

ほんの7年ほど前まで、カメラのことなんて何一つ知らなかったし、虫のことなんてさっぱりでした。

 

でも一度知識を得てしまうとそれが面白くなり(多分エンドルフィンが出ているのでしょう)、まんまと沼にハマった女がここにいます。

そうです、わたしです。

わたしは特に昆虫少女でもなければ環境問題に頭を悩ませるようなエコな人間でもありませんでした。虫はどちらかといえば嫌いでした。

 

家の裏庭(と言っても狭いですが)には鬼柚子の木があります。はい、柑橘なのでアゲハの食草ですね。そこで育ち、羽化して行った一頭のクロアゲハがきっかけでした。

 

そのクロアゲハが、じっくりじっくり翅を伸ばしているところを見てなんとなく観察してしまったのです。そっと触れてみようとしました。

すると、シャっとおしっこを引っ掛けられたのです。それが蛹便と呼ばれることも知らなかったし飛べるようになるまで数時間かかることも知らなかった。なんにも知らなかった。

クロアゲハが行ってしまったあと、鬼柚子の木をよく見てみたら、なんだか鳥のうんこみたいな虫があちこちに。それがアゲハの若齢幼虫ってことも知らなかった。

 

一通りインターネットで調べて、数日後。またクロアゲハが羽化していました…が、何か違う。

そしてまたインターネットで調べて、これはナガサキアゲハというのか!と新たな知見を得て、当時からやっていたTwitterで蝶の専門家の方にコンタクトをとってあれこれ学ぶようになったらもう止まらなくなりました。

 

坂道を転がり始めるようにのめり込み、飼育してみたり他の蝶の食草を植えたりして最初は坂道をゆっくりゆっくり転がっていた三角が、どんどん知識が肉付けされて丸みを帯び、勢い良く転がり始めるまでそう時間はかかりませんでした。

 

そして、蝶の諸先生方は皆さんいいカメラをお持ちでいらっしゃいました。

スマホの写真だと写しきれないきれいな鱗粉…マクロレンズっていうんだ。カメラほしいな…。

もうその頃にはわたしは蝶の虜でしたし、「ネコチャンも撮るし!」とオットにわがままを言って買った初めての一眼レフ。

 

最初は蝶だけでした。

でも、イモムシって蝶だけじゃないですよね。

そのうち蛾にも手を出し始めて、オットに「分かった。写真はいくらでもやれ。でもおれは標本は虫の死骸としか思えないからやらないでくれ。それだけ守ってくれたら好きなだけ撮れ。」と釘を刺されたり。

 

そうして鱗翅目を追い続けていくうちに、自然に対する解像度が広がり、いろんな虫を撮るようになったのです。

ただのオバサンが。

ほんのわずかなきっかけで。

 

この七年、お金の使い道もかなり変わりました。

洋服やコスメに使っていたお金は、図鑑やレンズに。

 

そして、私の周りのくすんでいた世界はどんどん本来の色で輝いていきました。

 

わたしは鬱病で思うように体が動かないこともありますし、希死念慮も消えてはいません。

それでも、自然に対する解像度が上がり知識を得る快感を知ってしまったから。だから生きてます。

 

この七年で蝶のプロの方とお知り合いになり、今をときめくTokyo Bug Boysのお二人と親しくさせていただき、蛾類学会の会長さんともお話ができ、蛾屋の兄貴分みたいな方もできて、写真の指導をしてくれる昆虫写真家さんや、海野和男先生、栗林慧先生とお近づきになれ、更にはあの養老孟司先生のお話を生で聞けた。

 

あのとき、クロアゲハの羽化を見守っていなければ得られなかったことです。私は今最高に楽しい。例え体が言うことを聞かない日でも。

 

たまに、思ったような1枚が撮れずに思い悩むこともありますが、それもまた楽し。

 

写真家としては中途半端。

虫屋としてもまだまだ。

 

なので、撮影専門虫屋は今日も虫のことを考えて過ごしています。

 

何も知らなかった頃には戻れない。でもそれでいい。

何も知らなかったままだったら、こうして生きてないんだろうから。

 

関わってくださるすべての人に感謝を、そんなブログを書こうとしたらだらだら駄文になってしまいました。だめですね、文才がない。

 

照れ隠しの感謝です。